ライナーノーツ 2003.6.5
俺は、“神”を雇っている。イントロの選曲係、ゴッド井上のことだ。アルトサックスを始めたジャズ研時代のニックネームがなぜか“ゴッド”。その由来については、同期生に尋ねても本人に問いただしても、判らない。
ゴッドは、13年前のある日、イントロにひょっこり現れた。「バイトしたいんですけど..」
面接にきたのだ。早大二文、文芸学科卒、ジャズ研出身の井上は、身上と、自分の好きなアート・ペッパーや、ジョン・ゾーンのことを言葉数少なに、だが熱く語った。とはいえ、無口な男だ。こんな無口な奴に、夜はハチャメチャ・ジャズバーになるイントロのカウンターがつとまるわけがない。そう思った俺は、世間話でもしてテキトーに追い返そうと思い、「文芸科出身なら、どんな小説家が好きなんだい」と切り出すと、「坂口安吾です」と答えた。そして“ふんどしを洗う女” の話をしているうちに、なぜか俺は、坂口安吾を雇う気持ちになってきていた。
仕事の初日、常連客への紹介がてら井上に、「よしオマエ、挨拶代わりにアルト吹いてみろ』。そしたら吹くわ吹くわ、ここまで下手糞なサックスは、久々に聴いた。我慢して1曲聴き終えたら、もう1曲演ると言う。俺は言った。「もういいからこっち来て、コーヒー点てる練習しろ」
そのようにしてイントロの“ゴッド物語”は始まった。無口は現在に至るまで相変わらずだが、無口に反比例して、アルトは雄弁、歌うようになってきた。とにかくコルトレーン顔負けの練習男なのだ。開店前のイントロに立ち寄ると、店内から聞こえてくるのは井上のロングトーン。いつも一人でメトロノーム相手に、コツコツ練習している。
そんな井上がイントロに来て13年、遂に吠えた。ジャズ研時代に、未来を嘱望されていた訳じゃない。神童とか天才とか言われたことも絶対ない(ゴメン、井上!)。ひたすらジャズに愛着を持ち、聴き続け、アルトを吹き続けている地味〜な男の記録がこのCDである。井上にとってジャズとは何か、大袈袋に言うと人生とはなんぞや、との現時点での答えがここにある。
このCDから技は聴こえてこない。参加ミュージシャンに技量がない訳ではない。技はあくまでも、歌うための道具であるという哲学に基づいているのだ。“下心より歌心” というサブタイトルが隠されているように、ジャズのハートを、ひたすら歌心溢れる井上のアルトを通して、聴いて欲しい。サポートしたリズム隊もその考えに共感、ゴキゲンなレコーディングになった。3人とも若くて、近い将来ジャズシーンを背負って立つ超有望株であるのは、一聴して解って頂ける。録音とジャケット制作はイントロ仲間。海瀬正彦の音作りは「虚飾の無い等身大の音を目指した」。カバー・アートは村上浩幸の作品。
最後にお詫びを一言。実は最終10曲目は、俺がドラムを叩いた。ゴッドの優しい計らいで、13年間のタイコ修業の現状を、おまけに記させてもらった。ありがとう井上!
CD録音後、ゴッドの歌はさらにグッと冴えてきた。2作目を世に問うのもそれほど先の話では無いだろう。
俺は、“神”を信じている。
2003年6月5日
ジャズ喫茶イントロ店主 茂串 邦明